雑文発散

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過去の日記

2002-12-31 大晦日だよ火曜日

締めくくり

2002年締めくくりの日は中野ブロードウェイへ。まんだらけ度が更に上がっているかと思っていたけど、記憶の中との比較ではそれほど上がってはいなかったように思う。

相変わらず濃い店が多くて楽しかったのだけれど、コレというほどの品はなく、結局何も買わずに退散。

DVD

その後、新宿のヨドバシで DVD を物色。アニメコーナーで、「ん?なんだかココ異臭がする」と思ってさっさと通りすぎたら、別の場所でも同じ臭いと同じ人。。。

買ったのは、「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 1」と「ロード・オブ・ザ・リング スペシャル・エクステンデッド・エディション」。

帯電

面白いほどに帯電体質。

年越し

がくし、谷口、犬子、ohsamu、吉井、すずきで年越し。手巻き寿司食べたり、年越しそばを食べたり。


2003-12-31

[] 0g減

1日と比べても0g減。まぁ、キープだったということで。

[] 朝食/昼食

朝と昼を兼用にしようと、11時頃に歩いて中目黒駅前へ。もちろん目標は吉野家の特盛。もちろん、その勇姿を撮影すべくデジカメも持って。

しかーし、、、中目黒の吉野家はシャッターが下りていた。年内は昨日が最終だったようだ。ここで諦めてはならぬと、今度は恵比寿駅前まで歩くことにした。看板が見えてきた!と思ったら、店の前で立ち止まる人の姿が。そして立ち去っていくその人。。。なんだかイヤな予感がしつつ、店の前まで行ったら、ここもシャッターが下りていた。

もう帰ろう、、、と思って、恵比寿スカイウォークを歩いているうちに、目黒駅前にも吉野家があったことを思い出した。最後の賭けということで、そのまま目黒駅前まで歩いた。交差点の向こうに見える吉野家。ちょっと遠くてよく見えないが、シャッターは下りていない。これは!と横断歩道を渡り、店の前まで早足で行くと、シャッターは下りていないものの店は閉まってた。。。

傷心のまま権野助坂を下りて、最後はサンデーマートの牛丼を買って帰って食べたよ。はぁ。

[] 羊のうた【完全版】1 / 冬目景

連載時のカラーページをカラーで収録した完全版。12月〜来年3月の月末に全7巻で発売とのこと。オリジナルのコミックより大判(A5)なのもいいね。オリジナル版は途中までしか買ってなかったから、丁度いい、完全版で揃えよう。

[] 発症、そして治療

そういえば野菜類の在庫が少なかったかも!と冷蔵庫などを調べ、買い物に出た。まずは、もう一度サンデーマート。大根やら里芋やら蓮根やらネギやら。レジで清算し、さぁ帰ろうと思ったところで切り餅を発見。これも買っておかねばと再びレジに戻ってみたり。

家に帰って買ってきたものを広げてみたが、どうも落ち着かない。なんか買い忘れてそうな気がしたので、今度は東急ストアに向かった。特に何かをと考えてきたわけではないので、売り場をウロウロ。急には必要ないはずのコーヒーを「たぶん飲みたくなるよな」とカゴに入れてみたり、「かっぱえびせんマヨネーズ味だよ!」とゲットしたり、「菓子パン2個よりどり88円って安くねー?」と選んでみたり。

どうやら、年末年始散財症候群の症状が出た模様で、気がつくといるものいらないものガツンガツン買ってた。発症した場所がスーパーだったので、単価が安くて良かった(笑)

で、帰ってきたらだいぶ買いたい欲が落ち着いていた。散財病に関する明確な治療法は、やはり散財することしかないのかも知れないな。

[] 2003年総括

仕事面では、新人が入ってきたり、上司が辞めたりして、チームマネージメントの方面が大幅に増えた。今までは自分一人のレベルアップを計ってばかりいたのだけれど、今年の後半はチーム全体を見なければならなくなった。お世辞にもうまくこなせたとは言えないので、来年もこの辺が課題だろう。

私生活では、第三 tDiary.Net の管理者になったくらいで、特に大きな変化は無く、割と淡々と過ごした1年だったかもなぁ。あ、彼女とは別れたけど。


2004-12-31

[] 牛丼と雪と生玉子と

何が悲しゅ〜て大晦日に出社せなあかんねん!と憤りながら仕事をしていた午前中が過ぎ、そろそろ自分を慰めに牛丼でも食ってこようと会社を出て街中へ向かったお昼時のこと。

会社から一番近い牛丼屋であるところの神戸らんぷ亭の前に行くと、、、「年内の営業は終了しました」と貼り紙。牛丼屋のクセに休むなよっ!と半ばヤツあたりしながら、近所のすき家に向かった。看板の蛍光灯が点いていなかったので、「まさかこっちも休みか?」と思いながら店の前まで行くとバッチリ開いていた。

サラダセットを頼んで、ふと気が付くと生玉子を頼むのを忘れていた。後から玉子を頼むのは、僕の矜持に反するので我慢したよ。

念願の牛丼を食い終わって店を出ると、雪が降り出した。まるで生玉子を頼み忘れた僕を慰めるように(嘘)

[] KAELA / 木村カエラ

2004年最後の購入CD。借りようかと思ってたけど、結局買ってしまった。やっぱね、「happiness!!!」がいいっすよ。

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ウラウラ [私も今日(31日)仕事(バイト)だよ。そして1日も2日も。。。]


2005-12-31

[] 寒いと縮むアレ

ぽるきちさんのPCの調子が悪くなったのは、寒さでメモリの差込口が収縮したのが原因だそうだ。

「寒暖で鉄道のレールが伸び縮みする」とかは知ってたけど、PCのメモリスロットもそんなんなるとは。。。

バッテリの持ちも悪くなりそうだし、寒いところは大変だなぁ。

[] 合格証書がやってきた!

26日に発送されたのだが、受け取れずに今日までオアズケだったセキュアドの合格証書が届いた。どんなものであれ、認められたっつーのは嬉しいね。

合格証書

証書に書いてあったんだけど「情報処理の促進に関する法律」などと言うモノが世の中にはあったのだねぇ。全く知らなかったよ。

[] 今日のすずきさん

目黒アトレ内に新しくできたZoffに行ってきた。最短45分でできあがるとあったので、こりゃいいやと、フレームを選んで視力検査に。

担当してくれたのは、すずきさん。

しばらくウロウロした後、恵比寿のツタヤに行って、いろいろ物色。いくつか持ってレジに並んで、開いたところに行った。

担当してくれたのは、すずきさん。

今日は年末ジャンボの抽選日だし、、、こりゃ、何かあるよ、きっと!

大晦日の夕焼け東京三菱銀行最後の日

そいでもって、Zoffでは、度が強すぎてレンズの在庫がないときたもんだ。完成は1月16日だとのこと。ちぇっ。

(本文と写真は関係ありません)

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ぽるきち [あけましておめでとうございます〜☆ 元旦なのにPCに向かっております…今年もよろしくお願いいたします。 あら〜セキ..]


2006-12-31

[] 2006年最後の散財

マッサージを予約したので中野まで。予約時間まで15分くらいあったので、時間つぶし兼Wiiがあったら買っちゃうよ!と思って、ツタヤに寄ったらPS3緊急入荷と貼り紙が。「在庫は少ないのでお急ぎください」とあるので、さぞや混んでいるのかと思いきや、、、誰も買おうとしていない。

買っちゃうか?と思ったんだけど、あんまり遊びたいソフトもないしなーと迷っていたところ、マッサージの時間になったので店を出る事にした。

で、マッサージ(60分)が終わっても残ってたら買ってみるかと考えて、ゆっくり揉まれてきた。今日の担当はTさんじゃなかったけど、帰りがけにTさんと顔を合わせられたので「幸せ〜」とか思いながらツタヤへ戻ると、、、残ってた。つーか、減った様子もなかった。

オレとの約束通り、PS3(60GB)を買った。59800円なら、まぁまぁ良い値段だったのではなかろうか。他に買ったのはD端子ケーブルと、迷いに迷った末にアーマードコア4を。

PLAYSTATION 3(60GB) アーマード・コア 4 D端子ケーブル HGメタル

このシリーズ、初めてプレイしたけど、こういう感じだったのか。セガ・サターンで「ガングリフォン」にハマってた時のことを思い出した。もうちょっと操作に慣れたら面白いかも。

で、よくよく見ると、5.1ch対応と書いてあるし、ネットワーク対戦もできるらしい。ONKYO BASE-V20Xの端子を見ると、まだ光入力端子に空きがあったのだが、ケーブルが無い。イーサケーブルはあることはあるんだが、結構汚れているので使いたくない。この際、スゴ録もネットワークに繋げたいところなのだが、HUBがない。PSPのゲームもダウンロードできるのに、容量に余裕のあるメモリースティックDuoがない。。。ということで、自宅に戻って30分ほどでもう一度お出かけ。今度は新宿のビックカメラへ。

到着してみたら、こちらにも「緊急入荷」の貼り紙があったのだが、行列はなかったので、欲しい人には出回ったのかも。転売価格も暴落中みたいだし。

で、ビックでHUBとイーサケーブル、配線用のモール、光ケーブル、メモリースティックDuoなんかを買って帰宅。光ケーブルは、ちょっと奮発してモンスターケーブルのにしちゃった。一応高級オーディオ機器でもあるわけだし>PS3

corega CG-FSW5PSBK 5ポート 100M スイッチングHUB 黒 MSX-M2GS メモリースティックPRO Duo 2GB

夕飯を煮込みながら、配線をしてセットアップ完了。さて、5.1chでプレイ、、、する前にシステムアップデートとかしなきゃと思って、ハタと気付く。ろ、60GBモデルって、無線LAN内蔵じゃん。。。んー、まぁ、有線の方が速いし、安定しているだろうからっつーことで!!

で、まぁ、早速、ダウンロードしまくり。グランツーリスモHDコンセプトとかRIDGE RACER7体験版とか。

さて、遊ぶか!!


2007-12-31

[] 2007年のまとめ

今まであまり「まとめ」系はしたことがなかったのだが、今年はちょっとやってみようかな、などと思ったので、1月から振り返って書いてみる事にした。

こう見ると、旅行とかキャンプとかで、意外と日常と違うところへ出かけているオレなのであった。いつも「どこかへ行きたい」と思っているので、まだ物足りないのかも知れないけど(笑)

それにしても、今年は「クルマを買った」ことが非常に大きい。まだ少しだけなのだが、行動範囲が変わり始めている。既にいくつかアクシデントが起きて、気分が凹んだりもしているけれど、それもまた楽しいと思えるようになってきている。

それもこれも、メールやこの日記でいろいろアドバイスを頂けたみなさんのおかげです。感謝感謝!

ということで、2007年、その他もろもろいろいろとお世話になったみなさんにも感謝します。ありがとうございました。


2008-12-31

[] 2008年ふりかえり

今年は物欲にかられつつ、旅をしたり、いろいろな勉強会やイベントに参加した1年であった。特に勉強会やイベントは、改めて見ると結構参加したことが分かる。かなり濃い年だったんだなぁ。

勉強会やイベントでは、たくさんの方に出会えたのも大きな財産。これってスゴイことだよなぁ。

【物欲部門】

【旅・クルマ部門】

【勉強会・イベント部門】


2009-12-31

[] THIS IS IT を観てきたよ

最初に公開された時にはタイミングが合わずに見逃していた。「DVD が出たら、それで観ればいっか」と思っていたのだけど、再上映されたので観に行ったというのが流れ。

マイケル・ジャクソンに関しては、実はそれほど思い入れはない。ただ、青春時代(笑)には、意識して聴いていなくとも、耳に入ってくる楽曲が多かったし、「あの曲知ってる!」というのも多いといった程度で、ファンとも言えない人というのがオレの立ち位置。

で、この映画。マイケルと共演したい人、共演できた人の表情や仕草から、マイケルってスゴく愛されてたんだなと感じた。あと、やっぱり良い曲が多いな。聴いててノってくるし、なによりその曲に合わせたマイケルのダンスの切れはすごくてカッコ良い。

ただ、どちらかというと普段から音楽を「ながら聞き」してしまうオレには、ストーリー性が薄いこの映画も「音楽」の仲間となってしまい、映画としては若干退屈に感じてしまった。

でも、完成した「THIS IS IT」の公演は観てみたかったな。

[] のだめカンタービレ 最終楽章 前編を観てきたよ

続いて、のだめ。意図した訳じゃないけど、音楽映画(?)を連続してしまった。

この作品は、原作(途中までしか読んでないけど)もTV版もアニメ版も好きだったので、最初から wktk していた。

最初のシーンで、アフレコのズレみたいなのを感じて、少し違和感があったんだけど、だんだん物語に引き込まれていったので、そのうち気にならなくなった。

「最終楽章」のストーリーは、全く調べていなかったんだけど、、、なんか知った話だった。原作はヨーロッパ編(?)を読んでないので、アニメ版で放映されてた部分なんだっけか。。。話は知ってたはずなのに、ところどころでクスクス笑えるし、(最近涙腺が緩いにしても)泣ける部分もあった。号泣こそしてないけど、涙ポロポロ流してたよ。

最後に「後編」の予告があったんだけど、あの辺はオレが全く知らないストーリーみたいだ。この年末年始に原作一気読みしようかと思ったけど、ストーリーを知らずに観た方が良さそうな気がしてきたので、それはオアズケ決定。

「後編」が上映される春が待ち遠しい。

[] 2009年ふりかえり

今年は、ものすごく、、、日記を書く量が減った。いろいろ疲れちゃって書けなかったというのもあるけど、やっぱり Twitter や Wassr でつぶやいて満足しちゃってるんだよね。

日記は激減したけど、今年はカメラ関係ではいろいろとモノが増えた。今年買ったレンズは、「Kenko ミラーレンズ 500mm F6.3DX」「Sony 16-105mm F3.5-5.6」「SIGMA 30mm F1.4 EX DC」「Sony 100mm F2.8 マクロ」、あと、日記には書いてないけど、「Sony 70-300mm F4.5-5.6 G SSM」も買った。

これも日記に書いてないみたいだけど、実は α700 のボディも増えている。

その他、前から気になっていた GPS フォトを始めたのも今年から。iPhoto が GPS に対応したのが大きい。まずは、iPhone で試してみて、面白さを実感して、その後すぐに m-241 を買って、本格的に始めた。これ以降、カメラを持ち出す時は必ず m-241 を持ち出すようにしている。

写真を撮りに行くのが目的だったり、そうじゃなかったりするけど、今年も意外と旅に出ていた。富士山が見たくなって、河口湖へ(河口湖へ(1)河口湖へ(2))。

PostgreSQL + CakePHP の勉強会に参加する為に福岡へ(福岡へ(1)福岡へ(2)福岡へ(3))。

Candycane の開発合宿で箱根へ(箱根へ)。

いつもの(?)キャンプで奥秩父へ(奥秩父へ(1)奥秩父へ(2)奥秩父へ(3))。

大阪の CakePHP 勉強会へ参加する為に、クルマで大阪へ。その帰りには紀伊半島を一周したり。途中で一度は行ってみたかった鈴木神社へお参りも(大阪へ(1)大阪へ(2)大阪へ(3)大阪へ(4)大阪へ(5))。

キャンプじゃなくてペンションだったけど、これはこれで面白かった伊豆(伊豆へ(1)伊豆へ(2)伊豆へ(3)伊豆へ(4))。

車検を終えて、その足で山梨まで(山梨へ)。

紅葉の写真が撮りたくなって昇仙峡へ(甲府へ)。

なんだか、いま一番楽しいのは写真を撮ることなのかもな。2010年もこの辺は変わらなさそう。


2010-12-31

[] 2010年ふりかえり

今年はなんと言っても、脳出血での入院が一番のビッグニュース。入院中、一番ひどかった時期には、もうまともな社会復帰はできないものと諦めていた。今だから笑って言えるんだけど、入院中に「屋上から飛び降りたら楽になれるかな?」と思ったことも何回かはあった。

救急車で運ばれて緊急入院することになった時には、まだ「お?日記ネタができたじゃん?」と思って、ものすごく軽い気持ちでいた。でも、入院2日目から、もうまともに歩けなくなっていて、不安が募り始める。

お見舞いに貰ったモーニング誌の「宇宙兄弟」に描かれていた「It's a piece of cake(楽勝だよ)」という言葉に勇気付けられたりも。

投薬で血圧が安定したこともあり、入院一週間後には「MRIで問題なければ退院しましょう」という話があったけど、再出血していたことが判明。手術して再出血のリスクを排除することに決めた。

髪の毛を洗えずに2週間程度経ってしまい、自分のあまりの臭さに丸坊主にした。病院内の床屋へも自力では行けず、看護士さんに車椅子で連れて行って貰ったのだった。

手術の為に、カテーテルで造影剤を入れた事前検査を行った。上を向いて寝ていると気持ち悪くなってしまう状態だったので、手術室で吐いてしまうなど、先生方には迷惑をかけた。

事前検査の結果が出て、主治医から「手術による後遺症を覚悟して、将来の再出血リスクを取り除く」か「手術はせず、再出血のリスクを抱えたまま生きて行くか」の2択を迫られる。手足が不自由になるよりも、再出血のリスクと共に生きることを選択し、手術は中止した。

そして、退院。このときはまだフラつきながら歩くことがやっと。階段の上り下りはドキドキしながらだった。

脳出血(脳卒中)の後遺症には、鍼灸が効くらしいという情報を見つけ、治療へ行き始めた。鍼灸のおかげだけではないだろうけど、退院時より今の方が確実に良くなっている。

その後は、なるべく外を歩くようにしていたら、今では入院前と同じかそれ以上に体調が良くなっている。右目と右唇の周りに少し痺れが残っているけど、少しずつ範囲が狭くなっているし、この状態に慣れてきて、あまり気にならなくもなってきた(笑)

つい先日だけど、職場復帰の最終判断も出て、来年早々に復帰することにした。

このほか、今年もいろいろなところへ出かけてた。

モノもいろいろ買ってたなぁ。

イベント関係では、Keccon Conference の他に RubyKaigi 2010 に参加してるんだけど、なんと日記を書いてなかった。それから、PHPカンファレンスとPHP Matsuriもココに加わるはずだったんだけど、入院してしまって参加できなかった。特にPHPカンファレンスは USTREAM のメイン担当をする予定だったので、直前の離脱で迷惑をかけてしまった。


2011-12-31

[] 西日本適当な旅 9日目

浜名湖を出て、もうひたすら家に向かって移動する。東名高速を使う度に思うけど、静岡はデカすぎ。走れども走れども静岡。

そんな中、冨士川サービスエリアで富士山を、、、と思ったら雲が多くてまともに姿が見えなかった。

家に着いた所で、トリップメータを確認すると「861.5km」。

実際は、旅の間にカウンターが2周しているので、合計2861.5km。これまでの最長記録を更新。同時に本州最西端や九州初上陸、四国初上陸も達成。だいぶプントと一緒にいろいろ行ってるな。

この結果、オレの iPhoto の撮影地はこのように。

スクリーンショット 2012-01-02 22.55.31

この旅行へ行く前と比べると、だいぶ西日本が充実したのが分かる。

iPhoto 2011-12-21

次は北海道かなぁ。


2012-12-31

[] 12年+αを勤めた会社を退任(退職)しました

本日(2012年12月31日)をもって、12年間+αの割と長い期間を勤めていた会社の役員を退任しました。任期満了の時期と僕の希望によって、このタイミングになりました。

仕事関係だったり、コミュニティ関係だったり、またはその両方の属性だったりした方にはいろいろとお世話になりました。本当にありがとうございました。

この日記でも仕事のことは何度か書いてはいますが、一貫して社名は表に出していませんでしたので、ここでも記述はしません。まぁ、他の SNS やらなんやらの情報を組み合わせれば特定できちゃいますけどねー。

まぁ、いい機会なので、ちょっと人生を振り返ってみたいと思います。話は今回退任(退職)した会社のひとつ前の会社からになります。

ひとつ前の職は、秋葉原の電気屋でのアルバイトでした。高校を卒業して浪人して、ちょっとお金が欲しくなってアルバイトを始めたら、お金が貰えることが(そして使えることが)楽しくなってしまって、大学受験をやめてしまいました。そのまま10年以上勤めたのですが、最後の方では仕事に面白みを感じられなくなり、2000年8月に辞めました。

アルバイトの期間中には、X68000 を買ったり、モデムを買ってパソコン通信を始めたり、Amiga を買って洋ゲーとか Mac エミュレータとかで遊んだり、Mac エミュレータでは動作しないものがあったので本物の Mac を買ったり、草の根ネットや NIFTY-Serve でワイワイやったりしていて、現在の僕の下地になるものがガッツリ育成された時期がこの頃です。

また、この期間には、漫画家・藤原カムイさんの「福神町綺譚」という作品に参加していました。福神町綺譚は読者参加型の「インタラクティブコミック」を実現した意欲作で、読者が「福神町」という架空の町へ住民登録して、作者と一緒に物語を作っていくというものでした。企画の当初は、まだインターネットが個人には手が届かなかった時代だったので、NIFTY-Serve のパティオで作者と読者がアイデア出しをしていました。

一定のアイデアがまとまった後、ウルトラジャンプ誌で「福神町綺譚」が連載されました。マンガの後には毎号必ず「福神町通信」というサポートページが付属していました。制作側からのメッセージと読者のアイデア紹介などの情報ページです。この「福神町通信」の毎号の企画とライティング(文章作成)を僕が担当していました。

「福神町通信」は全ページ(といっても2ページ)が手描きで写植などは使っていませんでしたので、僕が書いた文章を、毎回相棒が手でカリカリ描いていました。また、藤原カムイさんに「こんなイラストがあると良い!」とお願いして、これだけの為のカットを描いて貰ったりして、いま考えると、かなり贅沢なことをしてましたね。

この他に福神町の「住民登録」のサポートも行なっていました。

住民登録は、毎号の「福神町通信」に「住民登録証」が描かれており、これを切り取って編集部へ応募することで「住民」としての登録が完了する方式を取っていました。

住民登録証には、それぞれの名前や職業などのプロフィールを記入する欄があります。藤原カムイさんがそれらの住民のプロフィールを見て「これは!」と思った人々をマンガの中へ登場させたりして、作品に反映していました。

ただ、まぁ、これ、初期の管理は「紙ベース」だったんですよ。

このままでは破綻するなぁと思ったので、送られてきた紙の住民登録証を元に、ファイルメーカーで住民データベースを僕が作りました。それを藤原カムイさんへお渡して、住民の検索に利用して貰いました。

ちょうどこの頃、インターネットが身近になり始めたため、ファイルメーカーで作成した住民データベースを Web で公開できると良いのかなぁと思って「シーラカンス本(PC UNIXユーザのための PostgreSQL完全攻略ガイド)」と「マンモス本(PHP徹底攻略)」を購入したのが、Web エンジニア(当時はそんな言葉無かったけど)としてのスタートでした。

Linux 自体は、この少し前から触っていたので特に抵抗は無かったのですが、PostgreSQL に関してはファイルメーカーとの概念の違い(RDBMS vs カード型DB)があり、なかなか理解できずにいたのを覚えています。PHP にしても、サンプルプログラムを入力しても syntax エラーを多発して苦労してました。(今でも苦労しますが)

それでもなんとか福神町の住民データベースを Web で公開するところまで自力で開発することができました。もちろん、現在の Web システムからすれば、比較にならないほどシンプルなものでしたが。

で、ようやく、今の会社の話に辿り着きます。

秋葉原の電気屋を辞めて、プログラマーとして生きて行きたいなと思った僕は、ひとつ気になった会社へ応募してみました。しかし、書類審査の段階で落ちる結果に。このとき、既に30歳。この年齢で「業務未経験」の人間を欲しがる会社なんて、そうそうありません。

次に気になったのが、今回退任した会社(仮にA社としておきます)です。募集要項には「未経験可」とは書いてあったものの、そこに期待し過ぎると書類審査で落とされそうだなと思ったので、少し策を練ることにしました。

実はこの時、A社とは別の「紹介予定派遣」を行なっている会社のサイトに、A社の募集らしき求人情報が掲載されていました。会社名こそ書かれていませんでしたが、勤務地や募集のスキル・待遇などの要項がどう見てもA社のものとしか思えません。意を決して、この紹介予定派遣の会社へ行き、今の自分のスキルチェックのテストを行なってもらい、そのテスト結果を元にA社へ紹介して貰うプランです。

派遣会社の人に「この求人が良い。ここしか行かない」とダダを捏ねて紹介してもらった結果、2000年10月からA社に派遣として勤務を開始し、その1ヶ月後には正社員として雇ってもらうことができました。多少遠回りしましたが、計画成功です(笑)

僕が入ったときは全社員で20名程度で、エンジニアは僕を入れても3名という頃です。創業時ではないけれど「ビットバレー」がどうとかこうとか、そんな時代に近いころですね。技術的には PHP3 とか PostgreSQL 6.x とかその頃の時代でした。

受託系の仕事をしたり、ASP の既存システムの改修をしたりしながら数ヶ月だったか1年程度だったか経った頃に、だんだんと既存システムへの不満が溜まっていき、「もっと使いやすいものを作ろう!」と提案したら「じゃ、お前やれ」的に任せて貰えることになりました。

ASP システムを新規でゼロから作るなんて、まるで経験がなく、かなり苦労して作りました。見積りの能力もゼロに近い状態だったので「◯月までには完成させます」という言葉も虚しく、完成が遅れに遅れて周囲に大変な迷惑をかけてしまう結果になりました。

毎日終電間際までコード書いていたり、土日でも出社していたり、(昔はあまりうるさく言われなかったので)自分のノートPC(Libretto)へ開発中のコードをコピーして、通勤電車の中でもコーディングしたりしていました。

更に上司にも助けて貰いながら、ようやくリリースすることができた時には嬉しかったのを覚えています。ただ、予定していた機能の一部は実装しきれずに次回以降のバージョンアップにさせて貰ったりしていたので、100%の満足は得られませんでした。

ここからは、この新システムの機能追加と改修を主な仕事として行いつつ、マネージャ職に昇進して、会社の方針などへも積極的に関与する立場になりました。

その後、しばらく経過した後、エンジニアの上司が退職されてしまい、実質的にエンジニア職のリーダーになりました。在籍するエンジニアの人数も徐々に増えてきて、マネジメントが必要になって来たものの、その点についての知識や経験も不足していたので、いろいろとうまくいかなかったことも沢山ありました。

また、上司が行なっていたプライバシーマーク関係の仕事を引き継いだり、新しく ISMS を取得するという方針になったため、その取得プロジェクトのメンバーになって認証関係の仕事も行うようになりました。純粋にエンジニア業とは違う、新たな仕事です。

そういう仕事の他にも ASP にちょっと大きめの新たなオプションを開発することになり、チームマネジメント業とエンジニア業と認証事務業を兼任したりもしていたのですが、種類の違う業務の並行作業がかなり負荷になっていて、一番ツライ時期でもありました。

実はこの頃に一度「会社を辞める」という宣言をしたことがあります。宣言後に社長といろいろと相談した結果、引き続き勤務させて頂くことになったのですが。

そうこうしているうちに、独立系ベンチャーだった自社が別会社へ買収され、その会社の100%子会社として事業を行なうようになりました。一定の期間の後、創業時の社長(前述の退職相談をした社長)も退任され、経営体制などが大きく変わって行きました。

変化したのは僕の立場も一緒です。社長交代後、しばらく後に取締役へのオファーを頂きました。エンジニアとして生きるか、経営者として生きるかというところでいろいろ迷いもあったのですが、会社役員という立場はなかなか経験できるものでも無いかなとも思い、有り難く就任させて頂くことにしました。

もちろんエンジニアとしてプレイしながら経営するというやり方もあったのですが、自分の状況や会社の状況を踏まえ、マネジメント方面に比重を置くことにしました。エンジニアとしての技術力を上げることよりも、会社全体をうまく回すにはどうすべきか?を中心に考えて行動するのが、この時期には最適だと考えました。

この間もこれ以後もエンジニアの採用にも関わっていました。定着してくれたメンバーもいれば、退職したメンバーもいます。前向きな退職をした方もいるのですが、後ろ向きというか、「ココは合わない」と思われてしまって退職された方もいます。うまく合わなかったことに関しては、僕の責任も強くあったはずなので、本当に申し訳ないことをしたと思っています。

反省ばかりでもアレなので、少しは成功事例も。

退任する前に大きく力を入れていたのは「品質管理」という概念を会社へ定着させることでした。以前は「開発者によるテスト」が最終テストを兼ねていて、リリース後に大きな不具合が見つかってしまうことも少なからずありました。

これをなんとかしようと考えたのが「品質管理チーム」を作るという方針です。これはサイボウズさんの品質管理(品質保証)に関するブログか何かを読んだことに強く影響を受けています。TDD 的なことをメインに据えることも考えましたが、当時の状況では開発者への投資よりも、品質管理チームという専業を作った方がより効果が高いと考え、このようにしました。

ブログにヒントを得たことから分かる通り、この分野に関しても知識や経験のないままスタートしたので、当初はうまく回りませんでした。社内からは「品質管理の人間より開発者を増やすべき」「品質管理から開発者へコンバートしたら?」などという意見も出てしまう有様でした。

それでも「絶対必要だから!」という意思の元に少しずつ改善を続けた結果、僕が退任する直前には Selenium を使った自動テストを充実させたり、PHPUnit のテストケースを書いたり、それらを Jenkin で CI してたりというところまで行っていました。

また、アプリケーション単体の品質管理の他にも「開発プロセスを向上するにはどうすれば良いか?」という点へも関与する立場になっていました。こういったプロセスに関する考え方は、開発チームとの間だけでなく、別の部署の「品質向上」に関しても影響を与えだしていました。

これらの「品質」に関する活動は、僕の成果として自慢できるポイントだと思っています。

で、まぁ、なんで辞めたのか、ですが、、、きっかけは2年前の脳出血です。今でこそ普通に生活している訳ですが、脳出血を起こして緊急入院して、手術するとかしないとかで悩んでいたころには、「死」が身近にいました。あるいは死なないまでも麻痺が残って、それまでとは違う人生の過ごし方をしなければならない可能性にビクついていました。

そのときに人生のふりかえりをしたんですよ。後悔は無いか?と。

「あの時、あれをやっておけば」みたいな後悔なんていくらでもあるんですね。その中には取り返しのつかないことも多いんですが、ひとつはまだ取り返しが付くんじゃないかな、と思うものがありました。それが前述の「エンジニアとしての技術力を上げることよりも、会社全体をうまく回すにはどうすべきか?を中心に考えて行動するのが、この時期には最適」というポイントです。

当時はその状況により諦めた「エンジニアとしての技術力を上げる」という点。ここがものすごく引っかかってしまった。

だから、今回、取締役という立場を退任させて頂くことにし、いちエンジニアとして、いま一度人生を過ごす機会を作ることにしました。同社に残ってエンジニアの立場で再就職するというプランも考えはしましたが、どうせなら新たな道で人生を開拓したいと思って、会社を離れることにしました。

いま42歳なので、いろいろと前途多難な気もしないでもないですが、まだまだ勉強を続けていきたいと思います。

みなさま、これからもよろしくお願いします。

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kashioka [リツイートから知りました(汗 おつかれさまでした! 今度、また、うまいとこ行きましょう]


2013-12-31

[] とりあえず西へ #4

泊まったホテルから姫路城までクルマで10分ほどだったので、開館時間に合わせて出発。

昨日まで知らなかったんだけど、姫路城は現在修復工事中で、その全体像は外から見えない状態なのね。

それでも工事中の様子を見ることができる「天空の白鷺 」が作られていることも分かったので行ってみた。

どんなもんかなーとあまり期待しないで行ったんだけど、天守閣の最上部を外側から見られて良かった。あと、作りたての白漆喰と瓦の色合いが美しくて、これ、完成したらすごいことになるな、と思った。

巡回コースをひと通り堪能した後は、自宅へ向かった。

さすがに大晦日の東京方面の高速は空いていて、大井松田まで渋滞ゼロだった。そっから先はよくあるところでよくある混み具合。まぁ、それでも完全に停止してしまうような渋滞ではなかったので、ヨシとしよう。

トータルの走行距離が 2244.7km で、燃費は 18.6km/l だった。そこそこがんばった。

[] 2013年ふりかえり

KPT でふりかえろうかとも思ったけど、日記から抜粋するかたちのふりかえりにしてみた。

正月は無職で迎えて、7日からクロコスへ出社。リフィレッシュするつもりか、1月は日記をほぼ毎日書いていたのであった(本来の「日記」はこのはずだけど)。

2月は、まだまだ日記の頻度も高く。

3月、大きな買い物をしていた。

4月もパンダの話題が続く。日記の頻度は若干落ち始めている。

5月、ゴールデンウィークに和歌山まで行ってきた。

6月、おいおい2回しか書いてないので、全部載せたる。

7月、お、こっちは3回書いてた。とりあえず、気になったところだけ。

8月も3回のみ。

9月、10月は、なんと0回。

11月、またパンダの話題でなんとか持ちなおそうと少しだけ。

12月、結局休みに入ってからの旅行記のみ。

「パシフィック・リム」を観て盛り上がったりしてたのに、日記書いてないのなー。あと、割と大きなイベントの Ustream 担当としてスタッフ仕事をしてたのに書いてない。

同じ時期(特に後半)に仕事が大変な状態だったので、正直ちょっと辛かった。

ま、ちょっとまとめになってないけど、ふりかえりはこんな感じで。


2014-12-31

[] 2014年ふりかえり

年初に「2014年の抱負」なんぞを書いていたようなので、それぞれの項目のふりかえりをしてみる。

いろいろ捨てよう

あまり予定をしていなかった「引越」をしたこともあって、いろいろ捨てることができた。逆に言うと、引越が無ければあまり捨てられていなかったんじゃないかな。

まぁ、要因は何にせよモノを減らせたのは良かった。でも、引越でも未練とか時間切れとかの関係があって捨てきれなかったモノがいくつかあるので、そいつらは継続して捨てていこう。

コードを書くスピードを上げよう

これはどうなんだろ。まぁ、マシにはなったんじゃなかろうか。PHPUnit のテストもモックを使って「必要なところ」を中心に書けるようになったので、技術力は向上できたんじゃないかな。

体力つけよう

いっときジムに通ったんだけど、結局すぐ辞めてしまった(笑) 結局あんまり変わってないかな。


ここから先は、いくつかの面からふりかえり。

映画

まずは映画。今年は劇場とビデオを合わせて33本観ていたようだ。日記をひととおり眺めて、良かったもの、ダメだったものをあげてみよう。それぞれの項目は、観た順番に並べてあるだけで、順位ではない。

良かった映画
ダメだった映画

今年はちょっと少なめ(?)だったかな。見返してみると、今年は一度しか飛行機に乗っていない。他は全てクルマでの移動だった。

その他

仕事面では、クロコスが解散し、ヤフーに吸収合併されたことが一番大きな話かなぁ。10月から新しい組織体制でボチボチやり始めたんだけど、年明けにはもっと加速するはず。

個人面での大きな話というと「2014年は毎日欠かさず日記を書いた」というのがある。これは途中から「今年の目標」になっていたので、達成できて良かった。まぁ、1行しか書いてない日も何日かあるんだけど、それはそれで「それくらいしか書けなかった」という記録として良いだろう。

この達成によって、2014年はなんかうまくいった感を得られている。この調子で2015年もいきたいものだ。


2015-12-31

[] 2015年ふりかえり

2015年のはじめに掲げた目標に対してのふりかえり。今年の1月1日の日記には次のように目標を書いた。

  • いろいろ捨てよう
    • 昨年に引き続き
    • 引越で減らしたけど、もっと減らす
  • JavaScript のチカラを上げる
    • PHP に比べたらだいぶ劣っているので
    • 直近の仕事で JavaScript を多用しそうだということもある
  • 北海道へ行こう
    • なんと2014年は一度も行ってなかったので今年は行こう

それぞれについて、今年の活動をふりかえる。

いろいろ捨てよう

達成できず。

気持ち的には超スカスカな部屋にしたいところだったのだけど、「日常の生活ができるスペース」を確保してしまった結果、あまり捨てる活動を継続できなかった。「モノを増やさない」という意識は継続できたんだけど、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の公開とともに崩れ始めている。BB-8 かわいいよ BB-8

JavaScript のチカラを上げる

達成できた。

どのくらいのレベルまで到達できたのかはともかく、この目標を掲げた時点よりも上がったのは間違いない。この日記にも JavaScript カテゴリの記事をいくつか書いた。

また、PHPカンファレンス関西2015でも(PHP のイベントなのに)JavaScript のトークをしてきた。

このトークで触れた Karma の他にも JavaScript のテスト周りについての知識が増えたし、Grunt / Gulp に絡めて JSHint, ESLint, JSCS などのツール系も使えるようになったし、何より React に触れられたのがとても楽しかった。

「いま一番好きな言語はなに?」と聞かれたら「JavaScript」と答える気がするよ、オレは。

北海道へ行こう

達成できた。

しかも自分のクルマでの北海道一周。ずっと前からやりたかったことだったけど、ようやく今年になって実現できた。

観光ガイドに頼りきって普通に旅をするのは面白くないなと思っていたので、北海道に詳しい多数の友人たちに「どこへ行けばいいか?」というサジェストをたくさん貰って、それをベースにしてあちこち回った。各地で Foursquare にチェックインしてきたので、それを履歴としてまとめたりもした。

いや、改めてみると、北海道のいたるところにセイコーマートがあるのがわかる。

その他

技術的なところをふりかえると、Elasticsearch とか Chef とかの勉強はしてたなぁ。その他にも Embulk や Java も触ったりして。

それから Pebble の watchface を開発し始めたのであった。こっちは C 言語で書いているけど、知識が少なくて毎回苦労している。

それでも esa.io のキャラ(名前あるのかな?)を使った watchface をリリースできたのが超絶よかった。

全般的なところでは、11月からちょっと日記に挫けてしまって、一気に数が減ってしまったのがイマイチだった。ちゃんと日記としての価値を維持したい。


2016-12-31

[] 2016年ふりかえり的なもの

今朝 Facebook を開いたら「過去のこの日」機能(tDiaryで言うところの長年日記機能)で、下記の日記を Facebook 内でシェアした記事が出てきたので、せっかくなので読み返してみた。

割と大きめな人生の転機を迎えた時期だったので、いろいろと自分語りをしているという印象。でも、この時の「エンジニアとしての技術力を上げる」という想いは今も変わらない。日々精進しているつもり。でも、デキが悪くてツッコミを貰っちゃうことも多々あるので、まだまだ。

さて、それはともかく2016年最後の日なので、ちょっと今年を振り返ろう。年初の日記には、今年の目標を掲げていた。

モノを減らす
「カジュアルに引越できる」レベルが理想

できてないな。捨てられていない。「モノを買う」行為だけは、できるだけ抑制している。「モノ」ではないもの(Kindle などのデジタルコンテンツ)は、そこそこ買っているけれど。

英語を頑張ろう
以前受けた TOEIC では500点だったので、これを700点まで上げよう

最新の TOEIC の結果は 620 点。到達できていない。しかも、10〜12月はレアジョブもサボり率が酷くて、次クォーターからはアカウント継続できなさそう。。。

目標以外の行動を日記の記述から見返してみる。

仕事関係

今年一番大きな話は仕事に尽きる。1月1日付け入社なので、今日でキッチリ1年終了。この1年で何ができたのか?をふりかえるべきなんだけど、仕事の内容になっちゃうので、ここに書くのは控えておく。

イベントでの発表

今年は「イベントのスタッフ」ではなく「イベントの発表者」を意識して行動した。「PHPカンファレンス北海道」は間に合わなかったのだけど、そのほかの「PHPカンファレンス福岡」「PHPカンファレンス関西」「PHPカンファレンス(東京)」では発表できた。

Crowi

去年末から少し内部を触ってきた Crowi だけど、今年になってだいぶコミットできた。特にPHPカンファレンスで Crowi について発表するためにいろいろ調べた結果、より詳しくなるという好循環を起こせたのが良かった。

クルマ

相変わらずのパンダ。バックギアに入らないとか、旅行先なのに一時的にエンジンがかからなくなるとか、いくつか冷や汗モノのトラブルはあったけど、まだまだ元気に走っている。

そこそこあちこち行ってた。ひさびさの海外旅行と初めての海外出張などもあった。台湾旅行から帰国した翌日から富士山でキャンプという日程は、ちょっとアレだった。キャンプ初日は疲れてダメだったし。

しかし、キャンプ以外の旅行においては、食べ物を目的にしたものばかりじゃないか?

ちょっとリストアップしすぎた(笑)

今年特筆すべきなのは、日記の分量からもわかる通り Crowi 関連だな。なんか、こう閾値を超えたというか、いろいろと探りながら触っていた状態から、ここはこうすれば良さそうという予測がつくようになった。この状態は来年も維持していきたい。

ということで、2016年まとめ終わり。